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1930年代朝鮮半島・女衒逮捕記事の裏側



【 1930年代の朝鮮半島に暗躍していた女衒達 】

秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」(1999年 2刷)の54ページに以下のような文章がある。
「1939年3月5日付の「毎日新報」(京城発行のハングル新聞)によると、逮捕された河允明は、妻と共に32年から各地の農村を歩き回り「生活難であえぐ貧しい農夫達」 に良い仕事があるとだまして、約150人を満州や中国本土などに700円から1000円で売ったという。
ついでに河から50余人を買った京城の遊郭業者を警察が呼び出すと、それを察知して彼女達を牡丹江や山東省に転売したことも判明する・・・・」

こうした記事の背景をこれから説明しよう。

1930年代の朝鮮半島では、若い女性をかどわかす女衒が暗躍していた・・・・その様子を示すのが、以下の逮捕記事である。
sinbunn11.jpg


この上記の「東亜日報」の新聞記事で言及されている「逮捕された女衒の暗躍する背景」はどうなっていたのか?

当時の大阪朝日にも、この手の記事は掲載されているが、それはどのような状況だったのか?

これを詳しく書いているのが  『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』 (金一勉 著) である。


books.jpg 三一書房, 1976 - 284 ページ

これほど細かい事情を説明してくれる著作物は少ない。
まずは <満州事変と便利屋について> である。

<満州事変と便利屋について>

満州事変の戦端を開いた日本軍が、中国東北3省を手にいれると、活気ついたのは日本国内 に沈んでいた”死の商人”たちと、右翼ゴロツキ連中であった。・・・・・・満州の地は日本のよたものや領土拡張主義者や、日本で食い詰めた 者が続々とつめかけていた、日本の国策は、満州の石炭、鉄鉱、鉄道、木材などの資源を求める独占資本の進出であり、それを獲得するため軍隊派 遣、その後から死の商人が追い、一旗組が追いかけ、さまざまな山師ら、おまけに刑務所を出た者━といった具合に資源略奪と軍隊と山師が続々 と続き、そのあとから売春業者が続く。・・・・・・・・・・・日本軍による現地の略奪品の処分や、それのための使い走りや、軍隊用の女性の手 引きや、その斡旋、または女を誘拐してきて提供したり、いかがわしい娯楽品の私的調達をするための業者・・・と言ってもよい。まさに部隊のダニ のような存在である。それが儲かると分かると、つぎつぎに「便利屋」が湧いてくる。
また一方に、日本軍の周辺には、必ずと言っていいほど兵隊相手の飲食店が作られた。・・・・・
日本軍の大陸戦場での戦法はきまって「討伐戦」という手段であったが、それはとりもなおさず略奪戦に他ならない。  (P25、26)



・・・・・と満州事変後の様子を描写している。
ここで「略奪戦」と書いているが、日本軍の中には、欲得が少なく、個人的にはこの略奪には参加しなかった者もいた。
だが、日本軍には「兵糧は現地調達」という原則があり、現地調達とは現地人に「供出させる事」であり、戦争が始まり拡大すると、そのための多くの略奪もなされたので ある。駐留地の周辺では、どさくさまぎれの略奪品売買の裏家業が繁栄していたのであろう。

部隊本部に帰ってくる兵士たちの、”戦利品”というのは中国人邸宅の高級調度品から宝石のはじまって、農民のロバ、豚、馬に至るま で手あたり次第である。・・・・・・
これを処分する役目が便利屋なのだが、ピンからキリまである。・・・・仕官の酒肴を探してくるもの、部隊の前に小さな飲食店を構えている者など・・・
この飲食店は必ずといってよいほど酌婦を置いている。これが夜は兵隊の”慰安”の役目を演じるのだ。



また料亭も続々と満州の主要地につめかけていた。料亭は古くから将校連中の潜在的な慰安所となっていたが、 作戦も謀略会議も、商社との謀議密談もことごとく「料亭」の奥座敷で行われた。
(P27)



満州事変→満州国建国といった満州乗っ取り景気の様子

こうして日本軍隊の周辺には、便利屋が大繁盛した。・・・・・そこで目をつけたのが日本各地の売春業者たちで あった。日本国内ばかりでなく、朝鮮、台湾の売春業者、さては上海やシンガポールにいた日本人の売春業者までが”満州景気”のた よりを聞いて、続々と詰めかけた。・・・戦地では儲けは倍加する。・・・・略奪品のおこぼれがある。これを日本国内に運んでは高 価に売りさばくのである。・・・つまり両者は切っても切れない関係になるのだ。と同時に全アジア中の女衒が群がりだした。(女衒 とは女を誘拐して連れ出す商売である・・・)
満州謀略にとりかかった日本軍隊に群がった売春業者と女衒たちは、その人肉商品である女体をどこに求めたのか?それは何と言ってもま ず”植民地朝鮮”だった。朝鮮を女の誘拐または気安な釣り場にしたのだ。
(P28)



「朝鮮を女の誘拐または気安な釣り場にしたのだ」

これが上の新聞記事の背景である。
こうして、事件として検挙されたものもあるが、捕まるのはごく一部の朝鮮人の女衒だけだったようだ。

この問題について金一勉氏は、(日本人も朝鮮人もいた)売春屋のボスによって使役された「朝鮮人の売春屋や女衒も多くいた」・・・と書い ている。それはそうだろう。朝鮮の言葉を話せなければ女性を騙して連れて行くことなどできないのである。どこにでも自分の儲 けを優先する悪人という奴はいるわけだ。こうして女性をかどわかすと売春宿に売り渡すのである。

ところが、この後、1941年には関東軍と朝鮮総督府が結託して朝鮮女性を大量に狩り集めた、いわいる「関特演」が行わ れるのである。これをもって政府の関与は明らかとなる。
               

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