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大韓帝国の光武改革=日韓併合前の近代化政策


テーマ:日本の近現代史 ━「大韓帝国の光武改革=日韓併合前の近代化政策」

日本が韓国を植民地支配するときに、それを正当化するためにいろいろな論理がその当時から使われました。
その当時から今にいたるまで非常によく使われる論理が、朝鮮は悲惨だった、自力では到底、近代化できる能力のない国だった、だか ら植民地支配していいのだという論理です。
自力近代化ができない国は、植民地支配してもよいという論理は正しくないのは、もちろんです。 【 もしも正しいのならば、中華人民共和国のチベット支配や、ウィグル支配も正当化されてしまいます。】
しかしここではその論理が正しいとして、考えてみます。日本の韓国支配は正しかったのでしょうか? 正当化できるものなのでしょうか?
正しかった、韓国にその当時、自力近代化の能力はなかったという主張があります。
その例として、イギリスの旅行家のイザベラ・バードが書いた『朝鮮紀行』もよく引用されます。「ソウルが世界でいちばん不潔な町だと思っていた。中国 の北京を見るまでは、そう思っていたといった内容の記述があるからです。

ところが、同じ本の後半はめったに引用されません。
韓国が自力近代化の可能性を示していた部分が記述されているからです。

イザベラ・バード『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)の本の第三十六章「一八九七年のソウル」P543〜544には次のような記述があります。引用しましょう。読 みやすく改行していますが、そのまま引用してあります。

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ソウルの多くの区域がなかでも特に《南大門》と《西大門》の付近が文字どおり変貌していた。

両わきに石積みの深い運河があり石橋のかかった、狭いところで幅55フィートの大通りは、かつてコレラの温床となった不潔な路地のあったところである。
狭かった通路は広げられ、どろどろの汚水が流れていたみぞは舗装され、道路はもはやごみの「独壇場」でなく、自転車が広くてでこぼこのない通りを「すっ 飛ばして」いく。
「急行馬車」があらわれるのも間近に思われ、立地条件のすばらしいところにフランス系のホテルを建てる構想もある。正面に ガラスをはめこんだ店舗は何軒も建っているし、通りにごみを捨てるのを禁止する規則も強化されている。
ごみや汚物は役所の雇った掃除夫が市内から除去し、不潔さでならぶもののなかったソウルは、いまや極東でいちばん清潔な都市に変わろうとしている!

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これが1897年です。いわゆる朝鮮国から、大韓帝国に変わって、自力近代化が本格的にスタートした年のことです。これを 光武改革といいます。昔は韓国でもほとんど注目されなかった時代ですが、こういう改革がなされていた時代があったのです。

最近になって活発に研究されるようになった時代です。

上の記述は1896年の9月から始まったソウル都市改造事業の成果です。このような自力近代化政策、内政改革が1905年まで続きますが、この 自力近代化を助けるのではなく、必死につぶそうとしたのが、日本なのです。

たとえば1902年、大韓帝国政府は最新式の武器をイギリスから輸入して、軍隊を近代化しようとするのですが、日本は外交官を通じて、その契 約が成立しないように、指示を出しています。

この段階で韓国は財政的に破綻していたのか、というと、そんなことはありませんでした。外国からの借款を抱えていましたが、関税収入 を担保にした適切なもので、貿易額は非常に速いペースで増加し続けていました。
また、鉱山開発の採掘権を外国に売ると同時に、採掘して得た利益から高額の税金を徴収するなど、さまざまなかたちで政府の歳入が増える道を 開いて、順調に発展してきています。
しかしこのような諸外国との良好かつ多面的な経済協力関係が構築されてしまうと、日本が独占したい韓国の利権が他の国に奪われてしまいますから、日本 は必死になってそういう利権を諸外国から買いあさります。
それで諸外国との良好な関係で築いてきた財政基盤を、日本が独占しようとしたときに、日本にはそこまでの経済的余裕がなくて、苦労することになります。
こういう状況が苦しくて、破綻とか、破産というのだと思いますが、それは大韓帝国の破産ではなくて、大日本帝国の植民地政策の破産だったのだと思います。
それで日韓併合すると日本は、増税に次ぐ増税をおこない、さらにそれでも足りない分は、夫役(ぶやく)や賦役(ふえき)と呼ばれる無賃の強制労働を民 衆に負担させることまでするのです。
そして、1890年代から、本格的には1897年から行なわれた大韓帝国の光武改革の成果を、すべて日本の近代化の成果だとして見せ るように必死に歴史の修正作業をおこないました。
そして対外的には1880年代までの韓国の写真を掲載してわざわざ遅れた韓国を強調することで、大日本帝国の支配を正当化してきたのです。



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