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植民地朝鮮の時代日報の記事 その1



テーマ:日本の近現代史 「植民地朝鮮の時代日報の記事 その1 」

朝鮮王朝時代(李氏王朝時代)の拷問はひどかったといって、日本の植民地統治を正当化しようとしている人がいますが、それは少し無理があると思います。

読みやすく改行してあります。

◆朝鮮総督府警務局 『諺文新聞差押記事輯録(時代日報・中外日報)』 昭和七年のp.28〜29より引用。

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熙川事件に似たる極悪無道の拷問(大正13年7月9日) 
慶北事件第一回の公判の訊問を終りたる裁判長は被告に対し
「警察部の調書及豫審の決定書をみるに有罪と認定せらるる点多し、萬一被告等より有益な証拠あらば詳細に申し立てよ」と言ひたるを以て、
辯護士李仁氏は被告等を顧みて警察部に於て拷問を受けたる事を話せと告げしかば、
被告は交々立ちて、警察部の刑罪餘りに酷毒なりしを以て一時にても生命を保全せむが為めに事実なき事をさへ陳述するに至りたるなりと慄ひ聲に冤を訴へ、
各々傷口を出して見せたるを以て裁判長は衣服を脱がせしめて実地に鑑定を為す必要ありとて突然傍聴を禁止し傍聴者及新聞記者を外に出したる上拷問に逢ひ たる傷口を鑑定したるが、今も尚ほ酷毒なる刑罰の跡は其の儘残り居り、
崔胤東は指の間に鉄棒を入れて突刺したる跡及殴打の跡、鉄棒にて手足を烙かれたる跡及細縄にて甚しく緊縛したる傷跡あり、
鄭斗奎は煙草の火を以て烙かれたる跡及富永警察部長が直接自己の佩び居れる剣を以て掌を刺したる事及び煙草の火を以て陰茎の尖を無残にも烙きたる処の傷 口を一々申し立て、茲に事実が暴露したるが、
未だ秘密に附して其の真偽を調査せむが為めに、已むを得ず公判を十四日に延期し当日法廷に医師を呼んで傷口を実地に鑑定せしむる事に決定して閉廷せり。

感想
これは裁判の様子ですね。裁判長が刑事被告人に対して、警察の調書をみれば有罪だと思うが、もしも被告にとって有利な点があれば、くわしく言 ってみろ、ということになりました。

それに対して、被告人が、自分は拷問がひどくて死にたくなくて、ウソの自供をしたのだ、その拷問はどんなものだったのか、裁判長に見せています。
崔胤東という朝鮮人の身体には、指の間に鉄棒を入れて突き刺したあと、殴ったあと、鉄棒で手足を焼かれたあと、縄でひどくしばられたあとがあり。
鄭斗奎という朝鮮人の身体には、煙草の火で焼かれたあと、日本人の富永警察部長が直接、自分のもっていた剣で手のひらを刺したことと、その傷跡。  あとタバコの火で男性のシンボルの先を焼いたことと、その傷跡を見せて訴えています。

有罪か、無罪か、まだ分からない段階で、こういうレベルの拷問をしていたのかと思うと、残酷というか、凄惨というか、、本当にすさまじいと思います。 ところがこういう拷問を受けて、たとえ無罪で出獄したとしても、損害賠償さえ請求できませんでした。そして新聞報道も差し押さえられて、なかなか報道され ないわけです。

日本の植民地時代は、こういう時代だったのですね。


有名な『わだつみのこえ』にもこんな話があります。

◆テーマ:日本の近現代史 高崎宗司 『植民地朝鮮の日本人』 岩波新書 
(P.172より引用、読みやすいように改行しました)

田中艸太郎 「植民地時代回顧」『わだつみのこえ』第93号 1991年

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三九年(1939年)、元山中学の三年生であった田中艸太郎は、そのころから、日本人生徒の一部が朝鮮人生徒を侮辱したり乱暴を働いたりするようになったと回想 している。
四○年の夏、10人あまりの日本人生徒が竹刀や木刀をもって数人の朝鮮人生徒をさんざんに打ち据えていたのを止めた田中は、後日、鉄拳を加えられた。
田中は教員に暴力生徒の全員退学を要求したが、「教師たちはなるべく穏便に片づけようとし」、田中を脅した。
田中は後年、「植民地政策の害悪が、このように、一中学校の経営までゆがめてしまう事実」に注目している。
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感想 

竹刀や木刀でさんざんに打ち据えたりしたら、死んでしまいますが、前に東亜日報の記事で紹介したように実際に死んだ例もあったの ですから
竹刀や木刀で日本人が朝鮮人を打つことは、決して珍しいことではなかったようです。

そしてそういうふうに朝鮮人に対して暴力をふるった日本人を日本人が止めると、後日、鉄拳制裁が待っているわけです。

しかしこういう話は、なるべく穏便に片づけられるので、誰も知らないということになります。





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