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知りたくない人は読まない方がいい/日本軍の残虐行為の記録



            ◆日本軍の残虐行為

戦前、及び戦中の日記や日誌、戦記、自伝の類の中には、さすがの私も残酷すぎてパソコンに打ちたくなくなるのもたくさんあった。
これは、その内の一つである。

だから、ここから先は、読まない方がいい。

特に「日本軍は、世界でもっとも規律正しく、すばらしい軍隊だった」なんてメルヘンなお話を信じたい人は、読まない方が無難だと思う。

日野原重明 ━  1911年(明治44年)生。医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院理事長。
http://www. 47news.jp/47topics/e/157613.php 

日野原重明━監修「新老人の会」編
『歌われたのは軍歌ではなく、心の歌  語り残す戦争体験』新日本出版社
P79  怒りと嘆きの底から   夏地弥生子


・・・戦争が終わり、それから幾日たった頃だったか。いとこ達が遠い戦地から帰って来た。負け戦で命があって無事帰還したというので、私達親戚 は2人の従兄弟に「ご苦労さん会」を開くことにした。
・・・・・・(中略)・・・・
私は、正義のため、祖国のため、遠い戦地でさぞご苦労だっただろうと、いろいろの手柄話から察して聞いていた。
その内、酔いが回ってきた従兄弟の一人は、まるで戦争に勝って来た勇者のような素振りになってきた。

いかにして敵地を襲ったか、数知れぬ敵をやっつけたか、そんな話になってきた。・・・・

(中略)・・・・

(フィリピン戦線で)そのマッカーサーが一時、撤退したときのことをBは得々としゃべりだしたものである。アメリカ兵の引き上げた後のフィリピンで、日本兵は、残された者、兵士と民間人を襲ったのだ。 負傷して倒れているアメリカ兵の側に寄ると、何やら必死で命乞いをしているらしいその負傷者の頭上に、わざと大きな声で、「ワン、ツー 、スリー」と掛け声をかけ、運んで来た大きな石を何人がかりかで落とすというものだった。身動きできないアメリカ兵の傷ついた頭に向かって、日本兵は 次々と同じ方法で殺して行ったという。

「ワン、ツー、スリー」
その従兄弟は、歌を歌うように声を出してその所作をしてみせた。

聞いていた私達は、声を出す者もいなかった。みな同じ気持ちであったのだろう。驚き、呆れ、怪しみ、そいて悲しみからでもない、身体に身震い が起こり、それは止むことがなかった。一人の叔父は蒼白となり壁を見つめたまま、もう一人の叔母は、それこそ口をあんぐりと開けて目をむいていた。

そして、中国から帰って来た今一人の従兄弟は、反抗する女達を、日本の兵士達はどんな野蛮な方法で辱めてきたかを、得々とした表情で語り始めていた。

従兄弟二人は、「帰還ご苦労会」でとんでもないお土産を、集まった親族たちに撒き散らかした。その信じられないような恐ろしい報告は、生々しく率直なものだけに、聞くものはすごいショックを受けて、それに対して一言の言葉も挟む者はいなかった。 親族の中では、一番のもの知りといわれている叔父が、「戦争ちゅうもんは、そんなもんや」と、やっとこさで言ったのに・・・・(中略)・・・・

私は幼かった頃から、中国人のことを「チャンコロ」と言って卑しめ、在日朝鮮人を訳もなく軽蔑し、その子供達を、日本人の子は苛めるのが当然のように思っていた。
それから、あの鬼畜米英の時代になった。

米軍の報告書もある。

1945年9月16日米軍調査報告が「悲しく醜き現実」と題して、北海道新聞に掲載された。
「軍医将校が活体解剖の実物展覧のため捕虜を使った」
「婦女子30名、男子27名、牧師1名を突き殺し次いで生きているものも死体と共に積み重ねこれを突き刺した」
「兵士が小集団をなし各部屋に入り懐中電灯で婦女子(14歳の娘まで)を運びだし・・・娘たちは終始祈り、母親達は娘達を守ろうとその身を投げ出した」
・・・・と言う

なぜそんなに残酷な行動に及んだのか?今となっては分からない。
もちろん「戦争とは、そんなものだ」と言えばそれまでかも知れない。


              ◆日本軍の行った強姦について

強姦の記録もまた様々な著作物に散見している。
そもそも、軍慰安所が設置された経由自体が「強姦が多すぎるから」であったし、設置された後も強姦はさほど減っていない。

 『湘桂公路』 坂本楠彦 1986 筑摩 P66,67
独立混成第八八旅団経理部の元見習い士官の回想

作戦中見つけた中国女性は必ず強姦して殺すといわれていたある軍曹が、1944年12月、貴州省独山で捕らえた女性を強姦しようとしたところ、この 女性は、日本語で「やめて」と叫んだ。びっくりした軍曹がわけを聞くと、中国人と結婚した横浜育ちの女性だった。その時、この軍曹はもはや「やれな くなった」だけでなく、それ以来、人柄がすっかり変わり、女に興味を持たなくなった、と言う。

残酷で不気味で不思議だよね、この話。
どんなメンタリティー???
日本女性以外は、多分、人間に見えてなかったんだね。ダッチワイフとやるのと同じ感覚で姦り、獣を殺すのと同じ感覚で殺してたのかな???それ が、日本女性にばったりでビツクリして、憑きものが落ちたって感じだけど。

こうした話は全て、我々の先輩達が直接見聞き体験したものである。そして「将来歴史教科書で教えろ」と言うのでもない。さらには書きたい話でもない。た だあまりにも間違った意見を訳知り顔で述べる人がいるらしいので、ここに書いておく。
そしてこうした事を書いているのは、戦後の共産主義者とそのシンパだけではないのである。


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