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『兎の眼』の中の朝鮮の植民地の話



灰谷健次郎の名作、『兎の眼』の中から、朝鮮の植民地支配に関する部分を引用したいと思います。

はじめて読んだときに、児童文学であるはずの作品の中にこんな部分があることを知って、 衝撃を受けました。
新潮文庫の129ページから131ページの部分です。
新米の女の先生である小谷先生が、生徒の保護者である バクじいさんから話を聞く場面です。

「わしゃ、若いころ東京のW大学にいたんですわい」
また小谷先生はびっくりした。

「親友がいましてな、いいやつでした。金龍生というて朝鮮の人間でした。わしの生涯のうち、あんなりっぱな男はほかにはおりませんでしたわい」

バクじいさんは過ぎ去った昔を思い出して、眼をしばたたいた。

「そのころ朝鮮は日本の植民地でした。金は不幸な母国の歴史を勉強しとったです。そういうグループがあって、そこで自分の国のことを勉強しとっ たです。爆弾投げたわけやなし、人を殺したわけやなし、自分の国のことを勉強しておって牢屋に入れられるちゅうバカな話がありますか先生」

バクじいさんの顔は苦しそうにゆがんだ。

「金龍生は牢屋に入れられましたわい。金と友だちやというだけで、わしも引っぱっていかれたです」

小谷先生は胸が痛くなった。

「拷問というのを知っておりますか先生、人間ちゅうもんは、どんなことでもするもんですな、悪魔になれといわれたら、はいという て悪魔になれるもんですな。金が勉強しておったグループのメンバーを言えといわれて拷問されましたわい。天井からつるされて竹刀で ぶたれました。あんなことはサムライの時代のことかと思っとったら、なんのなんの。わしも若かったから、口ごたえしてやったら、半殺 しにされましたわい。人間が人にさからえるのはつかのまのこと、それからつめと肉のあいだに千枚通しを入れられたり熱湯をかけられたり して、身も心もぐにゃぐにゃにさせられてしもうたです。」

からだがふるえてきて、それをとめるのに小谷先生は苦労をした。

「日本人だからそれくらいですんだんで、朝鮮人はもっとひどいときかされたもんやから、金のことを思って胸が痛んだです。がん ばっておったら、金の母親がわしのところへきて、これいじょう拷問にたえていると命がなくなってしまうから、白状してくれと泣きつか れたです。龍生はどうしてもしゃべらないようだから、あんた、はいてくれ、そうして一年でも二年でも監獄にいってくれば、また自由の身になれるちゅ うて泣くんですわい。そらそのとおりや、死んでしもうたらなんにもならん、わしが受けた拷問を思うても、死ぬちゅうことはじゅうぶん考えられる。それで わしゃ白状しましたわい」

「それで金さんはたすかったのですか」

小谷先生はせきこんでたずねた。

「なんの」── バクじいさんは、ごくっとのどをならした。

「赤い絵の具のついたジャガイモみたいな顔して、ものいわんと家へかえってきたです。もういっしょに酒を飲むこともかなわん、いっし ょにチェロをひくこともかなわんからだになって、だまってかえってきたです。金のおっかさんもえらいやつでしたわい。そのときは、もう一つぶ も涙をこぼさんじゃった。あんたをうらまん、そのかわり龍生の分も生きてくれというて、わしを許してくれましたわい。


【 爆弾投げたわけやなし、人を殺したわけやなし、自分の国のことを勉強しておって牢屋に入れられるちゅうバカな話がありますか 】

というバクじいさんの話が、しみじみと重くひびきます。

爆弾投げたわけでもなく、人を殺したわけでもない人間を連行してきて、 拷問して取調べしなければ維持できない植民地体制が、 良いものだったなどということはできないと思います。




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